知識は学ぶだけだと無意味。「身に付ける」から価値がある。
おそらく「学ぶこと」について、多くの人が勘違いされていることが1つあります。
特に、実際の仕事で使う「実学」を学ぶケースに当てはまります。
学校やセミナーなどに参加し、知識を手に入れることは、皆が体験したことがあるでしょう。
何かを学んだあとは、自分が少し成長した気になり、満足感に浸れます。
もし、そこでご満悦なようであれば、自分を一度、叱ってあげてください。
知識を得るということは、それ単体では、全く意味が無いからです。
多くの人は知識を得て、自分が知識を「使えるようになった」と満足します。
理解していればさえ「出来る」ものだと思いこんでしまうのです。
さて、どう活用しようかと持ち帰り、そのまま忘れてしまうのが常です。
知っていればさえ「使える」なんて迷信にしかすぎません。
教えてもらっただけで「出来る」と勘違いした瞬間に、深い落とし穴に落下してしまっています。
まずは知っているだけでは「まったく使えない」ことを認識しましょう。
知り合いに、何度も何度もセミナーに通っている人がいました。
彼は起業家に憧れ、将来は自分も起業をすると、意気込んでいました。
一見、彼は努力家のように見えます。
先生と呼ぶ起業家の元に足を運んでは、教えてもらってもいました。
さぞかし多くのスキルを習得できたことでしょう。
それだけ知識も豊富なのであればと、期待を込めて彼に宿題を出しました。
再来週までに、事業を1つ企画し、語れるようにしてきてくださいと。
知識も豊富ですし、散々学んだのですから、出来るはずです。
3週間後、どうなったと思いますか?
何も、出来ていなかったのです!
事業を語るところか、何からしていいか分からないというのです。
これまで、散々学んできたはずなのに、一体何の役に立ったというのでしょう。
僕はこの時「知識だけでは意味が無い」と学んだのです。
確かに知識を学ぶことは良いことです。
学び続けなければ、人は時代に置いていかれてしまいます。
ただ、多くの人が勘違いしているのが「知れば使える」という勘違いです。
知識は「訓練」して使えるようになるものなのです。
知って、理解したことを、身体で訓練しなければ、無意味でしかありません。
例えば、起業の一通りのやりかたを学んだとします。
こういった流れで起業し事業を作るのだと、知識を伝えたとします。
一体、中の何割の人が実際に出来るようになるでしょうか?
答えは、基本は1割以下、2割もいれば上出来です。
では、知識の訓練とは一体なんでしょうか?
少し分かりやすく実例をお話します。
ある起業を目指す女性がいました。
彼女に僕は、自分がどうやって事業を作ったかを伝えました。
しかし、最初のアイディアを出す段階でつまずいてしまったのです。
アイディアの発想法は、教えたはずでした。
知識としては知っているはずなのに、出来ないのです。
そこで、一緒にアイディア作りをすることにしました。
僕は彼女がアイディアを出せるようにファシリテートします。
その場ではいくつか、面白そうなアイディアを作り出すことに成功しました。
ところが後日、彼女だけでやってみてもらうと、やはり出来ないのです。
何かを大きく変えなければならないと感じた瞬間です。
何度やってもダメな時は、全てを一度、変化させなければなりません。
僕はアイディアを出す前に、思考の訓練をしてもらうことにしました。
発想するまでの思考を、誰でも簡単に出来る訓練に作り変えたのです。
その訓練を毎日繰り返してもらうよう、彼女に指示しました。
数日後、すっかり彼女は訓練の段階では出来るようになっていました。
僕は、改めて彼女にアイディアを出してもらうよう、指示しました。
すると、今度は1週間どころか1日でアイディアを出してしまいました。
しかも1つだけではありません。
5つもアイディアを出してきたのです。
訓練前は、まったくアイディアが出なかったのにです。
実は、知識を使えるのは、知っているからではありません。
自分の身体で繰り返し試し、身に付いているから使えるのです。
この圧倒的現実に、誰もが気付かず、ただただお金を払って知識ばかり学んでいます。
非常に愚かな、そして無益な繰り返しを続けているのです。
断言して言えることが1つあります。
方法論に関しては、多くを学ぶことに意味はありません。
いくつかの方法を徹底的に使いこなせるようにするべきです。
自分の得意な方法を深く訓練した方が、問題解決を成せるケースが大半です。
多くを学ぶのは、全て使えるようになるためではありません。
どれを選別し極めるかを、選ぶためです。
何か深く身に付けてから、次に取り掛かるべきです。
確かに、多くの知識を知ることは良いことです。
問題を解決する際にも、異なる領域の知識が繋がって解決出来ることもあるでしょう。
問題解決の王道的発想法でもあります。
ただ、大半の知識、特に実学とは「身につける」知識です。
知って使えるものではありません。
繰り返し反復し、訓練することで、使えるものです。
なのに、多くの人が、知って終わっています。
身につけることをしないので、時期に忘れてしまうのです。
昔、ある賢い人に出会いました。
何を聞いても即答で答えが返ってくるのです。
不思議に思った僕は「どうしてそう知識を覚えているのか?」と訪ねました。
すると、彼は日常的に意識して、ある訓練を行っていたのです。
彼は、有意義なことを教えてもらったら、すぐに「誰かに教えていた」のです。
学んだことを誰かに「やってみせる機会」を作ることで、身につくのだと。
誰かに教えるということは、なかなかプレッシャーのかかることです。
間違えたことを、伝え続けるわけにはいきません。
きちんと教えなければと意識するのです。
さらに、実際に教えることで深く自分自身に身につきます。
やってみせる、教えて見せるのですから、それは身につくはずです。
彼は「訓練」を繰り返し行うことで、訓練自体が癖となっていたのでした。
教えてもらったら誰かに教える癖があることで、彼も高速で成長していたのです。
この癖もまた、繰り返し反復したからこそ身に付いた知識です。
僕は良いことを教えてもらったと、次の日から実践しました。
ところが、最初は上手くできませんでした。
こうすべき、と知っていれば、すぐ出来そうなことです。
ですが、なかなか出来ないのです。
教える機会を逃してしまったり、それ自体を忘れていたり。
いつ教えれば良いのか分からなかったり、要因は色々です。
ところが、何度もやっているうちに、出来るようになりました。
普段の会話の中にでも、キッカケを見つけ知識を自然とシェア出来るようにもなりました。
起業について教えている中で、自然と組み込んで話が出来るようになりました。
同時に、自分も知識を身に付け、定着させる良い機会となっていたのです。
今も、何か学んだら、すぐに身近な人に教える機会を作ります。
そして、実際に自分が教えて実演することで、しっかり身につけます。
訓練することを、訓練で身に付けたのわけです。
知識だけ学んでも、絶対に身につかなかったでしょう。
このように、知識、特に実学は、何度も反復することで身につきます。
決して、知っているからと言って出来ることではありません。
そして、本当に良いメンターや教師、先生とは、教えるだけの人ではありません。
しっかりとファシリテートし、訓練し、知識を定着させてくれるメンターです。
僕自身も今は、理想の形であれるよう、常に意識しています。
みなさんは、手に入れた知識を、どのように扱ってしますか?
そのまま、出来るような感じで、頭の片隅に置いたままにしていませんか?
知識は実際に使われるまでは、価値はゼロです。
実際に、いつでも自分が使えると確信できるまでは、無意味です。
世の中には多くの情報があります。
それでも人が「成せない」のは、身に付けられないからです。
知識を身につけるという概念が足りていないからです。
ぜひ、知識を身につけることを意識してみてください。
知識を身につける概念を身につけることも訓練が必要かもしれません。
それでも、繰り返しているうちに、いずれ使えるようになるでしょう。