活動を始めよう!と思いつつ動けていない人が、まず捨てるべきもの。
人は、何に対しても理由をつけたがる生き物です。
仕事をする理由や、何か行動を起こす理由。
1つ物事を決定する際に、それらしい理由があることが、行動の最低条件であるかのようです。
ただ、実際は可能な限り理由を持たない方が、上手く行ったりするんですね。
例えば、とあるワークショップで課題を出されたとします。
しかも達成が困難である、という課題だったとします。
課題を解決する方法は、どんな方法でも構いません ( もちろん法に触れなければ ) 。
ちなみに、ノウハウなど1つもなかったりします。
ゼロから課題を解決することと変わりは無い状況だったとします。
もちろん、この課題達成を、難しく思える人もいるでしょう。
難しいと思った人は、そんなの無茶な難題だ!とか、できるわけが無い、と話します。
さらに、こんなことが弊害になっているとか、あれが無理だこれが無理だ、と言葉を重ねます。
ただ、どんな状況にあっても成し遂げてしまう人もいるのです。
わかりました、やります、と言って、次のミーティングでは結果を報告します。
人によって、自分の見えている価値観は、大きく違うものです。
とにかく、達成できる人と、出来ない人に別れるわけです。
さて、達成できなかった人は、その後、一体何を話すでしょうか?
大半の人が、もっともらしい理由をつけて、自分を擁護します。
時間がなかったとか、他の業務に追われていたとか、理由は様々です。
理由とは便利なもので、自分が成せなかった言い訳として機能するんですね。
しかも、その大半の人が、本質的な問題は別のところにあることを知っています。
仕事が忙しかったのも、時間がなかったことも、確かに事実なのでしょう。
ただ、本質的な問題が「そこ」では無いことを理解しているのです。
その証拠を見たければ「なるほどねぇ」と他の理由を揶揄するように相槌を打つことです。
すると、多くの人がバツの悪そうな顔をするのです。
課題を成せなかった人は、おそらく「別の問題」が自分にあることを知っているのでしょう。
自分が出来なかったというより、本気でやらなかった、という「問題」です。
もし「なるほどねぇ」と言われて、バツが悪いと思ったのであれば「出来た」ということです。
やろうと思えば出来た可能性が大きいから、バツが悪いのです。
なぜ出来なかったのか、その理由について、深く考える必要はありません。
出来なかったというより、やらなかった、という理由は自分が知っています。
例えば、時間がなくて出来ませんでした、と理由を話す人がいたとします。
彼の話す理由を聞いていた相手が「なるほどねぇ」と言います。
そのあと「どうすれば出来たと思う?」と尋ねると、答えは即答で返ってきます。
余分なディナーを断ったり、いつものルーティンを短縮したり。
もし課題の優先順位や大切さを感じていれば、彼はそうしたことでしょう。
なぜしなかったかを聞くと、大抵、答えはありません。
本質的な話をすると、ただただ、やらなかっただけ、なのです。
にも関わらず、人はそこに理由を持たせようとします。
それが、物事を厄介な事案のように変えて、ややこしくしてしまうのです。
さらに言えば、そういった理由を話す人は、大抵、直前まで何もやっていません。
事業を作っていると、最初、活動的でなかった人が、活動的になる瞬間があります。
お客さんが初めて、サービスを使い始めた瞬間です。
もしくは、最初の収益が発生したタイミング、と言っても良いでしょう。
これまで「時間が無い」とばかり言っていたにも関わらず。
やろうと思えば、全然時間作れたじゃないか!と誰もが思います。
盛り上がって来るタイミングと、モチベーションが上がるタイミングは一緒です。
顧客がきた、サービスが動き始めた時になって、初めて責任感が生まれます。
だからこそ、時間を捻出する努力をするようになるのです。
同じ責任感を最初から持っていれば、いつだって時間を捻出できたはずなのです。
一緒にやろうと言ったにも関わらず、こうした卑怯者も多く存在します。
もし、本気で事業を作ろうと思うのであれば、最初から動きます。
可能性にかけて、同じモチベーションで事業を作っていけるでしょう。
人が動かないことや、やらないことに、理由なんてほとんどありません。
なのに、もっともな理由をあげて、自分の非を正当化しようとします。
もし、本気で自分の事業を作りたいのであれば、出来ることは、数多くあります。
成し遂げたいことの妨げになっていることを排除すればよいのです。
仕事であれ、時間であれ、本気でやると誓った人は、全く別の行動をとります。
職を変えたり、生活を節約したり、様々な行動で妨げになっている壁を排除します。
大きな生活への改革が必要であれば、それを成し遂げます。
やりたいのであれば、強い意思を持って、実践に取り掛かります。
理由は、実践を妨げる壁になってしまうことが多々あります。
本当に必要なこと以外、理由をつけるべきではありません。
自分の行動に対して、可能な限り理由を排除していきましょう。
反対に、本気で取り組みたいことには、やる理由など思いつかないものです。
誰かを好きになる時、好きになった理由は?と聞かれても、上手く出てこない場合と一緒です。
可愛いとか、性格が良いとか、あれこれ理由を作ることは出来るでしょう。
確かに、それらしい理由を並べることは出来ます。
しかし、言葉に出来ることが全て表層上のものに思えてならないのです。
本当に好きになった相手、取り組みたいと感じたプロジェクトに、やる理由なんて無いものです。
成し遂げたいから、自分がそうしたかったからそうしたというモチベーションで十分です。
とあるゲームの主人公が素晴らしい名言を残しています。
あるシーンで「誰かを助けるのに理由はいるかい?」と、主人公は言い放ちます。
実際に同じ言い方を現実世界でしたら、まずまずイケメンしか通用しません。
普通に言い放てば気持ち悪がられて終わります。
むやみに一般人が利用するのが難しい、使い所は難しいセリフです。
しかし、理由に関してはここに全てが詰まっています。
理由なんて考えているうちに「誰か」は助けられなくなっていたことでしょう。
理由は?なんて考えたら、実際の行動への足枷や妨げになるだけです。
好きになった理由は?という質問と同じく、その答えに大きな意味はありません。
そして実際、理由を考えることが、実践の妨げになります。
何か、行動を起こす時。
自分で挑戦を始める時。
なるべく、自分自身に理由を持たないことを意識しましょう。
自分の行動にも結果にも、必要でなければ理由をつけることをやめましょう。
行動に対し、必要以上に理由を持つと、足枷になります。
特に言い訳に関しては、出来ない理由など自分がよく知っているので持つだけ無駄です。
理由をつけないことこそが、自分を身軽にし、行動へと導くのです。